2025年6月3日火曜日

『白山史学会会報』第129号 [メルマガ8号] 2025年6月4日


白山史学会会員のみなさま


小満の候、会員の皆さまにおかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

『会報』第129号(メルマガ8号)を送らせていただきます。


なにかお気づきの点がございましたら、学会事務局(hakusanshigakukai@gmail.com)までいつでもご連絡ください。


******  目次 ******

1. 白山史学会第61回大会・第53回総会のお知らせ

2. 会務報告

3. 常任委員選挙に関するお知らせ

4. 田中文庫選書委員会からのお知らせ

5. 『白山史学』第62号原稿募集のお知らせ

6. 編集後記

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1. 白山史学会第61回大会・第53回総会のお知らせ

白山史学会第61回大会・第53回総会は、6月28日(土)の午後1時半から対面およびオンライン配信のハイフレックス方式で開催されます。プログラムは以下の通りです。


◯公開講演

 白川部 達夫先生(東洋大学名誉教授)「質地請戻し慣行論の地平―近世の村と百姓的所持」

 石橋 崇雄先生   (東洋文庫研究員) 「清朝における「歴代中国王朝」としての「継承」と

 「改革」―東洋文庫所蔵『壇廟祭祀節次』から窺える大清皇帝の試みを中心に―」

◯研究発表

 小林 栄輝氏(井上円了哲学センター客員研究員)「韓述墓誌について」

 岸野 達也氏(大学院博士後期課程)「豊臣期・徳川初期における関東足利氏の嫡庶関係」


◯会場:6218教室(6号館2階)

◯配信URL:https://x.gd/UnGnD


*対面、オンラインとも事前登録なしでどなたでもご参加いただけます。会場にお越しになることが難しい方も、もしよろしければぜひご視聴ください。なお、オンラインで参加される方が当日配布資料をダウンロードするためのクラウストレージトレージ・アドレスは当日お知らせします。


大会終了後、午後6時半から6号館地下1階学生食堂において懇親会を開催いたします。懇親会に参加される場合は事前申込みが必要です。以下のgoogleフォームにて、6月18日(水)までにお申し込みください。会費等詳細は申込みフォームに記しています。

→懇親会申込みフォーム:https://x.gd/AiHk7 


◯研究発表の要旨は以下の通りです。


[小林報告要旨]


 本報告は、報告者が長年研究している昌黎韓氏、韓休の一族について、その唐代における歴史を概観した上で、唐後半期(755~907年)における韓述墓誌をその中に加え、唐代における貴族の実態について検討を加える。

 今回の報告では、韓休の死後、安史の乱(755~763)勃発後の韓氏の動向を対象とする。韓休が亡くなった時点でその子たちの大部分は出仕し、天宝(742~756)年間には全員が官僚となっていた。そのような中、安史の乱が発生し、この乱により滉の兄弟の浩・洪・渾の三人が死亡する。そのほかの生き残った者たちは各地に離散し、それぞれの家の存続を図った。韓滉は山南方面に避難し、その地で辟召を受け、地方官を務め、後に中央官となる。そして実務的手腕を生かし、反乱により立て直しが求められた官僚任命に必要な人事関係の職や財政の職務に貢献するなど、中央高官としての地位を得る。徳宗期は地方官として江南へ赴くが、その地の軍事・財政力を基盤として、唐朝の危機を救い、諸道塩鉄使の職を得、最終的には父の韓休と同じく宰相となる。滉の弟の洄は江南において逃れ、一族の存続を図るとともに、困難な時代にあって儒教的倫理観を行動で示すことで、士林の評価を得、多くの交遊関係を築き、その人的つながりなどを背景として、幕職官あるいは巡院の長官などに登用され、最終的には中央高官となる。滉・洄は安史の乱後緊急の課題であった財政再建問題に大きく関与するなど、唐後半期を理解する上で欠かすことのできない人物たちであり、当時の社会変動について考察する上で意味のある存在だと認識する。近年、韓休の一族の墓誌の発掘により、これまで見えてこなかった一族の動向、とくに安史の乱にともなう一家離散・集合の状況や、正史などの既存の史料で存在は分かっていたものの具体的な経歴など不明であった休の孫・玄孫の世代の動向についても分かるようになった。

 そこで本報告では、韓休の孫にあたる韓述(753~806)の墓誌について述べる。述の父の渾は安史の乱中に亡くなった。その際に述を助けたのは叔父の洄であった。述は恩蔭で官を得、いくつかの官を経た後、貞元年間(785~805)頃には巡院の長官(知院官)を歴任し、最終的には刺史になった人物である。注目すべきは、述が昇進するにあたり財政の実務を歴任していたことである。上述したように、述の伯叔父である滉・洄は重要な財政職におり、韓氏が安史の乱後二世代に渡り、唐朝の財政に深く関与していることが分かる貴重な史料である。また、述の子の復・益・孚の墓誌も出土しており、述の家族や姻戚関係などの状況も把握することが出来る。


[岸野報告要旨]


 戦国期の関東では、関東足利氏の嫡流である古河足利氏が将軍の立場にあり、庶流の小弓足利氏と対立を続けていた。天正18年(1590)の小田原合戦で北条氏が滅び、関東が豊臣政権の支配下に入ると、秀吉は小弓足利氏の足利頼淳に下野国塩谷郡喜連川の地を与えた。また、翌年には頼淳の子・国朝と古河足利氏の古河姫君との婚姻がなされた。従来の研究では、古河姫君と国朝の婚姻をもって古河足利氏と小弓足利氏が統合され、小弓足利氏の後裔である喜連川氏が関東足利氏の嫡流になったと評価されてきた。その後、江戸時代の喜連川氏は江戸幕府から特別待遇を受けているが、その背景として、豊臣政権による喜連川氏の嫡流化がもとになっていると指摘されている。

 しかし、喜連川氏の特別待遇は文化12年(1815)に記された「喜連川家格式書付」の内容に基づくものであり、近世を通じて同じような待遇にあったのかどうかは未解明である。また近年、谷口雄太氏は中世足利氏の血統について研究するなかで、中世後期の日本には足利的秩序、つまり「足利一門が非足利一門に儀礼的に優越するという認識」が存在したことを指摘している。谷口氏の評価によるならば、喜連川氏の権威が関東足利氏嫡流としてのものなのか、それとも足利一門としてのものなのか、双方ともに可能性があることになる。

 そこで本報告では、古河足利氏と喜連川氏の嫡庶関係を再考した。まず、従来の研究で喜連川氏が嫡流化した証拠とされてきた論点を再検討し、いずれも証拠としては薄いことを指摘した。そのうえで、当事者である古河足利氏と喜連川氏は、双方ともに古河足利氏を嫡流と捉えていた。また、前述のとおり喜連川氏は諸役を負担する立場にあったが、古河足利氏は諸役が免除されていた。さらに、儀礼の面においても、徳川将軍家と同格の古河足利氏、徳川御三家と同格の喜連川氏というように、古河足利氏の方が喜連川氏よりも好待遇であった。したがって、公儀も古河足利氏を喜連川氏より上位の存在として扱っていた。

 以上のことから、古河足利氏が嫡流であり、喜連川氏が庶流であったといえる。一方、喜連川氏も通常の武家よりは高い家格を持っており、「足利一門が非足利一門に儀礼的に優越するという認識」がこの時期にも存在したと評価した。


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2. 会務報告

今年度のここまでの活動状況について、以下の通りお知らせいたします。


◇新入生歓迎講演「歴史学への招待」(2025年4月3日)

・「坂本龍馬の手紙を読む」東洋大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程 小林 哲也氏

*開催概要は学会ウェブサイトをご覧ください。

           https://hakusan-shigaku.org/document/2025_rekishigaku.pdf


◇卒業論文発表会(2025年5月10日)

・「島津斉彬と明治維新」                                                本学卒業生 伊藤 直    氏

・「清代の長江中流域における米穀流通」                           本学卒業生 山田 美菜 氏

・「オートヴィル朝シチリア王国の異文化共生と宗教的寛容」本学卒業生 夏井 颯太 氏

*報告動画と資料を6月末まで以下で公開しています。もしよろしければご覧ください。  

 https://x.gd/tPXQ5


◇常任委員会

常任委員会を以下の日程で開催いたしました。

第1回(7月22日)、第2回(10月24日)、第3回(11月25日)、第4回(3月3日)、第5回(5月5日)。

*2024年度最後の常任委員会(第6回)を6月9日に開催予定です。

*2024年度会計決算、2025年度予算については添付のPDFファイルをご覧ください。


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3. 常任委員選挙に関するお知らせ

白山史学会では、常任委員次期候補者の立候補・推薦を総会の二週間前から受け付けます(書式自由)。候補者の届け出先は下記となっています。なお、応募や推薦は総会当日も受け付けます。


【届け先住所・メールアドレス】  

 ・住所:〒112-8606 東京都文京区白山5-28-20 東洋大学文学部史学科共同研究室内 白山史学会

 ・E-Mail : hakusanshigakukai@gmail.com


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4. 田中文庫選書委員会からのお知らせ

選書委員会では、「田中文庫」として史学史・歴史学理論に関する書籍を日々収集しています。「田中文庫」の書籍について、選書委員会では会員の皆様からの御意見、収集希望書籍を日々受け付けています。専攻を問わず、史学史・歴史学理論などに関する書籍についてお心当たりがございましたら、下記の住所、または白山史学会メールアドレスまでお知らせ下さい。蔵書リストなど、詳細は白山史学会ホームページ「田中文庫」をご覧ください(https://hakusan-shigaku.org/library.html)。


 ・住所:112-8606東京都文京区白山5-28-20東洋大学文学部史学科共同研究室内 

     白山史学会選書委員会

 ・E-mail:hakusanshigakukai@gmail.com


2024年度に田中文庫に新しく収められた以下2点の書籍について、紹介文と書評文を掲載いたします。


◯松沢裕作『歴史学はこう考える』ちくま新書   2024年 

→この書籍は、ある立場を正当化するために引き合いに出されるものとしての歴史、あるいはそれを物語る史料の性質について考察する内容になっています。筆者のご専門である日本近代史のみならず、日本中世史や世界史に対する史料の考え方も所収されているため、幅広い範囲の読者におすすめできる一冊です。(水谷 [博士前期課程] )


◯甚野尚志・河野貴美子・陣野英則編『近代人文学はいかに形成されたか―学知・翻訳・蔵書』勉誠出版   2019年

→論集の構成をとる本書の内容は、タイトルから明らかなように近代における人文学の形成を、日本を中心に取り上げたものである。一言で「人文学」と言っても、その内容は実に多岐にわたるものであり、必然的に本書が採録する各論文の内容は多分野にまたがるものとなっている。小稿ではその概要を歴史学研究との関わりより紹介することにしたいが、まず全体の構成は、以下のように三部に分かれている。


第一部「「学知」編制の系譜」

第二部「越境する言葉と概念――他者との邂逅」

第三部「蔵書形成と知の体系」

 それぞれの部がどのような内容提示を目的とするのかは、表紙に記された以下のようなコピー文が参考となろう。


「第一部…日本の近代人文学の学知がいかに編制され、アカデミズムにおいてどのように学問が構築されたか」

「第二部…過去や異文化という他者との邂逅が、翻訳・翻案などの営為を伴い、いかに新たな知を創造していく力となるか」

「第三部…近代図書館においていかに蔵書が形成され、新しい知の体系化がなされたか」


 このような問題提起をふまえ、全体で17本の論文が掲載されている。その内容は実に多彩であるが、やはり中心的な内容となるのは、明治以後の日本において今日的な意味での「人文学」がどのようにして形成されていったのかを取り扱う第一部での諸論考であろう。たとえば最初に掲載された廣木尚「「国文」から「国史」へ」では、帝国大学での学科編制の変遷を手がかりとして、当初の「国文」という人文学を包括的に扱う学問の枠組みの中から、どのようにして「国史」が独立を果たすに至ったかを追ったものである。こうした近代における人文系の学問の枠組みが確立していく過程をめぐっては、陣野英則「明治期の「文学」研究とアカデミズム――国文学を中心に」も文学の側より取り上げており、新川登亀男「戦後現代の文・史・哲と人文学の世界」がその後の今日に至る人文学の変遷過程を概観していることと併せて、まさに本書の主題がこれらの論考を通じて具体的に明らかにされている。

 本書の意義として指摘できることは、日本においてどのように近代の人文学の枠組みが成立していったのかが、これらの論考を通じて改めて明らかにされたことであろう。言うまでもなく、近代日本の学術の枠組みは欧米からの移入をもとに確立され、その過程では帝国大学史学科で教鞭を執ったドイツ人リースなどお雇い外国人教師が大きな役割を果たしていった。こうした既知のプロセスが改めて取り上げられる一方で、伝統的な学術の枠組みも決して過去のものとなったわけではなく、とりわけ自国の文化を対象とする人文系の学問においては江戸時代からの継続の上で、こうした西洋由来の近代学術との接点が模索されていったことが明らかにされている。

 こうした本書の内容は、中国史を研究対象とする評者にとっても非常に興味深いものであった。これも指摘するまでもないことであるが、近代以前の日本の学術がほぼ全面的に依拠してきたのは伝統中国社会における学術のあり方であり、そこでは儒学を柱とする古典教養の習得が知識の大前提とされた。そのことは、近代に至っても中国の古典が日本人にとっての古典として改めて位置付けられていったことを論じる渡邉義浩「日本の古典としての漢籍」の内容からも明らかであろうが、こうした学術のあり方を受容してきた近世末期の日本の知識人にとって、明治以後代わって欧米に由来する学術体系に全面的に移行することが求められるようになっても、それまでの自らの学術・学知のあり方を全く抛棄することは極めて困難であり、伝統的な学術知識を基礎として近代の学術を受容していったことが様々な面から指摘できる。そのことは、たとえば西周ら哲学者による翻訳を取り上げる第二部掲載の上原麻有子「創造する翻訳――近代日本哲学の成長をたどって」などからも明らかにできるが、西洋に由来する概念を日本語に取り入れるにあたり、漢字を用いて漢語化するという手法が一般的にとられたことは、その受容を容易ならしめたと同時に、ある特定の漢字を訳語としてあてはめたことで、原語には本来なかった含意を持たせていく機会ともなったといえる。そのことは、本書が主題とする「人文学」という概念をとらえる上でも大きな意味を持つといえよう。前掲の陣野論文が論じているように、明治期においては人文学に相当する概念は長く「文学」と称され、そしてそれは西洋のliteratureに対応する訳語として用いられた。そしてもともと「文学」という言葉は、古代中国以来の長い歴史を有するものであるということも指摘されているが、最も根源的な概念である「文」という字が本来どのような意味を有していたのかということは、他の論考も含めて必ずしも十分には説明されていない。

 甲骨文字までさかのぼる「文」の意味は、literatureと同様に多義的かつ多層的であるが、以下のような用例をその最も広範な含意として挙げることができる。


 天地を経緯するをこれ文と謂う(『資治通鑑』巻二百一十三、開元十九年三月丙申条)。


 司馬光による評語の一節であるが、「天地を経緯する」とは宇宙の森羅万象を秩序立てるというほどの意味であり、この上なく大きな意義が「文」という言葉に込められている。たとえば「天文」という言葉もこうした意味からの用例であり、今日における理系の諸学問も、本来は「文」という概念に包摂しうるものなのである。こうした言葉を近代学術の一分野に冠することで、そこには伝統的な「文学」という言葉をそのまま引き継いでいるように見えて、実は大きな意味の転換が生じていったということを、本書ではより深く考究することができたのではないかと思う。

 その上で、こうして日本において成立していった近代人文学の学問体系は、その後漢字文化を共有する周辺の東アジア諸国へと伝播していくこととなった。その一端は、第三部に掲載された河野貴美子「中国の近代大学図書館の形成と知の体系――燕京大学図書館を例として」より知ることができるが、まさに学問体系と対応する図書分類が、20世紀に入るとともに伝統的な「経・史・子・集」の四部分類から日本などを参考にした近代的な分類方法へと移行していったことが取り上げられている。こうした学問体系の近代的再編をめぐっては、前掲の新川論文も近代以降の東アジア各地域における大学の学部学科編制を題材に論じており、中国においても近代的な高等教育体制が確立された20世紀初頭に人文系学部の「文・史・哲」の枠組みが成立していったことが指摘されている。まさに本書が主題とする近代人文学の形成は、日本のみにとどまらず、東アジア地域全体において「近代人文学の学知がいかに編制され、アカデミズムにおいてどのように学問が構築されたか」ということにも関わるものといえよう。そうした大きな問題提起にもつながる豊富な成果を含むものであることを最後に紹介して、この小稿を終えることとしたい。(千葉正史 [史学科教員] )


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5. 『白山史学』第62号原稿募集のお知らせ

本会会誌『白山史学』第62号(2026年3月発行予定)の投稿原稿を募集しております。投稿規定は下記の通りとなりますので、ご参照ください。


《論文》

・400字詰原稿用紙縦書で、80枚以内(注:図表を含む)。

・図表は止むを得ないものに限り、5点以内。

・初校は筆者にお願いしますが、校正は誤植訂正に限り、書き直し、追加などはご遠慮ください。

・必ず欧文タイトルを付してください。

・デジタル・データで入稿する場合は、ファイル形式を明記し、他にテキストファイルとA4縦用紙に、54文字×19行で縦書きに打ち出したものを付してください。

《研究ノート》

・400字詰原稿用紙縦書で、30枚程度(注:図表を含む)。その他は論文と同様です。


*《論文》《研究ノート》共に、投稿は会員の方のみに限ります。投稿締切は2025年10月31日(当日消印有効)です。採否については、編集委員会の議を経て常任委員会の責任において11月末頃にお知らせします。

*なお、本会編集担当メールアドレス(hakusanshigaku@gmail.com)への電子投稿(メール添付)を推奨します。

*本誌に掲載された論文等の著作権は本会に帰属するものとします。ご自身の著書に収録するなどの際には、本会にお知らせください。


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6. 編集後記

 『会報』第129号(メルマガ8号)をお送りいたします。本号は、6月28日(土)開催予定の白山史学会第61回大会・第53回総会のお知らせに加え、今年度の活動についても紹介しております。

 今大会では、公開講演を白川部達夫先生および石橋崇雄先生にお願いいたしました。また、研究報告につきましては、小林栄輝氏および岸野達也氏にお願いいたしました。ご多忙の折、講演依頼をお引き受けくださいました白川部達夫先生、石橋崇雄先生、研究報告をお引き受けくださいました小林栄輝氏、岸野達也氏に改めてお礼を申し上げます。

 また、今年度は久方ぶりの懇親会を開催する運びとなりました。是非ともご参加いただけますと幸いです。

 『白山史学』第62号原稿も募集開始となりました。今後とも本会の活動にご理解ご協力賜りますよう、よろしくお願いいたします。                   (企画局長 小森)



『白山史学会会報』第129号 [メルマガ8号] 2025年6月4日

白山史学会会員のみなさま 小満の候、会員の皆さまにおかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 『会報』第129号(メルマガ8号)を送らせていただきます。 なにかお気づきの点がございましたら、学会事務局(hakusanshigakukai@gmail.com)までい...